Blog - 沖野さんライナー・ノート 2017. 10. 10 04:10

僕が中心となり制作したMusilogue第4弾アルバム 『飛鶴 / Hizuru』 (10/25日発売)について、DJの沖野修也さんがとても嬉しいライナー・ノートを書いてくれました!!

是非読んでください!!

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日本の美

京都の”きんせ旅館”で花をいけた。それは野崎良太君と明日佳さんのデュオの為の舞台装置でもあった。きんせ旅館は築100年の宿泊施設兼バーで、不定期に様々なアーティストのライブを行っている。しかも、オーナーの奥様は、僕のいけばなの先生。二人の入洛を聞きつけ連絡を取ったところ、野崎君から「是非お花を・・・」という話しを頂き、3人のコラボレーション?が実現することとなった。

渋谷のThe RoomでROOT SOULこと池田憲一に明日佳さんを既に紹介してもらっていたので彼女とは久々の再会となったのだが、野崎君から驚くべきことを聞かされた。何と彼女は僕の家から5分もかからない場所に住んでいるご近所さんだったのだ(引っ越す前の話だけれど)!それだけではない。彼女は我々の音楽に理解があり、二人は、純邦楽のアルバムの制作を画策しているというではないか!!

The Roomで一緒にDJをする仲で、同じBOOGIEの愛好家でもあった野崎君の新たな試みに、僕は感心させられると共に、その機動力に舌を巻いた。2009年に琴と尺八のユニットをプロデュースしてから、和楽器を導入したジャズの構想を持っていたものの、未だ実現していない僕に対し、彼は既に形にしてしまっている・・・。

それが、この飛鶴だ。毎回様々な編成でユニークな音楽を提案する野崎君のプロジェクト(レーベル?)Musilogueの最新リリースとして、あの時に耳にしたアイデアが作品化されたのだ。アルバムには、勿論明日佳さんが参加し、KYOTO JAZZ SEXTETの栗原健も参加している。一体どんな音楽が収録されているのだろうか?純邦楽の音楽家達と野崎君の組み合わせは何を産み出したのだろうか?僕の好奇心は聴く前からいつになく躍動していた。

日本の美。音楽によって描かれた自然と精神。飛鶴の奏でる音楽は、失われつつある美、そして、受継がなくてはならない美を具現化している。これは紛れもなく、今を生きる音楽家による純邦楽で、気を衒うことなく日本人が日本人らしく音楽を作ったアルバムになっている。勿論、野崎良太の作曲家としての力量が最大限に発揮されているし、ファンキーなドラム・サウンドが顔を出す部分もある。それでも、過去の延長線上に存在し、とは言え懐古的ではなく、むしろ普遍性の高い音楽として成立しているのだ。野崎良太、西嶋徹、井上新、波多江健が織り成すバンドとしての基調は、見事なまでに純邦楽とマッチしている。そして、田辺しおりの尺八、木村俊介の三味線と笛、明日佳の琴は、臆することなく生き生きとそのバンド・サウンドの上を舞っている。更には、栗原健、YuraiといったJazztronikでもお馴染みの面々がそのハーモニーの中に違和感なく溶け込んでいる。きんせ旅館でその発想を聞いた時よりも、実際に音を聴いた衝撃の方がその何倍も大きかった。ジャズやアンビエントの影響を完璧に消化した純邦楽の誕生。60年代後半から70年代前半にかけて山本邦山からチャーリー・マリアーノまでが取り組んだ邦楽とジャズの融合よりも、更に、”純な”邦楽に踏み込んだ野崎良太の挑戦は、日本の音楽史における事件なのではないだろうか?

あの日、僕は舞妓をイメージして花をいけたけれど、花器と流木を組み合わせ、独自の表現で二人の音楽に拮抗すべく悪戦苦闘した。いけばなもまた、現代芸術の一つであるからだ。思い返せばピアノと琴の、いや二人の親和性の高さが、このアルバムの出来を予言していたとも言える。京都のきんせ旅館でそのライブを目撃しただけでなく、文字通り花を添える機会を頂いたのは身に余る光栄。そして、こうしてライナー・ノートまでも任されたのも何かの縁だと思って。またご一緒できる日を楽しみにしている。飛鶴の生演奏を拝見できる機会が一日も早く訪れますように。

沖野修也(KYOTO JAZZ MASSIVE/KYOTO JAZZ SEXTET)

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